【姫路城】

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◆世界遺産

姫路城は法隆寺とともに1993年12月11日、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産リストにその名が

登録されました。世界150余か国・550以上の文化遺産・自然遺産とともに、世界に広くその素晴らしさが伝えられ、

かけがえのない「人類の宝」となりました。そして2001年には、国宝指定70周年、築城400周年を迎えました。

また、同年、正面入り口に「姫路城防災センター」がオープン。姫路城を守るため万全の防災体制を整えるとともに、

城の歴史や構造を紹介する展示室も開設しました。

毎年4月6日は「しろの日」に制定されており、この日は無料で登城できます。この日の前後に、非公開部分を

公開する「姫路城特別公開」も行っています。また1月1日(元旦)にも無料で登城できます。

ぜひ姫路城を訪れて、その雄大さと素晴らしさにふれてください。姫路城は、姫路駅から北へ約1km。アクセスは、

姫路駅北から徒歩約15分。バスでは約5分のところにあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆概要

@巧妙な螺旋式縄張り

お城の要塞としての機能性は、縄張(設計、構成、仕組み)のよしあしで決まります。姫路城の縄張は、抵抗

(防御)線が3重の螺旋形になった複雑巧妙なもの。これは江戸城と姫路城にしか類例のない形式です。

A美しき連立式天守閣

5重6階の大天守と3つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながり、幾重にも重なる屋根、千鳥破風(はふ)や

唐(から)破風が、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめつくり)の外装と相まって、華やかな構成美をつく

っています。

B不戦の城

姫路城はその400年の歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城

です。その結果天守や櫓、門などの保存状態が非常によいうえ、ほかに類例のない遺構も多く、極めて貴重な

文化遺産となっています。

     

 

◆姫路の由来

「姫路」の名は、播磨国風土記に出てくる「日女道丘」からきています。神代の昔、大汝命(おおなむちのみこと)

は、その子火明命(ほあかりのみこと)があまりに乱暴者なので、海へ出た際、捨ててしまおうと島に置き去りに

して船出。ところが、船が出てゆくのに気づいた火明命は大変怒り、風波を起こして船を難破させてしまいました。

その時、船や積み荷などが流れ着いた場所に「船丘」「犬丘」「筥(はこ)丘」「琴丘」など14丘の名が付けられまし

たが、その一つ、蚕子(ひめこ)の流れ着いたところが「日女道丘(ひめじおか)」で、現在姫路城のある「姫山」で

あるとされています。「蚕子」は古語で「ひめじ」といいました。地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期、

池田輝政が姫路城を築き、城下町を整備した当時の文献に見られます。

 

◆宮本武蔵の妖怪退治

木下家定が城主であった時代のこと、姫路に立ち寄った宮本武蔵が名前を隠して足軽奉公をしていました。

そのころ、城に妖怪が出るといううわさが広まっていましたが、武蔵が平気で夜の出番を勤めていたことが家老の

耳に入り、名高い武芸者であることが知られました。木下家の客分にとりたてられた武蔵に、妖怪退治の命が下り

ました。武蔵がある夜、灯ひとつを持って天守閣に登り、3階の階段にさしかかった時、すざましい炎が吹き降り、地

震のような音と振動が。武蔵が腰の太刀に手をかけると、辺りはまた元の静けさに戻りました。4階でもまた同じこ

とがありましたが、構わず天守を登り、明け方まで番をしていたところ、美しい姫が現れ「われこそは当城の守護神、

刑部明神なり。その方がこよい参りしため、妖怪は恐れて退散したり。よって褒美にこの宝剣を取らす。」といって姿

を消しました。武蔵の前には白木の箱に入った郷義弘の名刀が残されていたということです。

 

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